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Les Rallizes Dénudés(裸のラリーズ) / ’67-’69 STUDIO et LIVE[CD]UBCA-1073

裸のラリーズ バンド創成期の瑞々しく鮮烈な姿を捉えた貴重な音源集「’67-’69 STUDIO et LIVE」が未発表ボーナストラック2曲を加え、最新リマスタリングで待望の復刻リリース!

 

91年8月にリリースされた裸のラリーズのオリジナル・アルバム「’67-’69 STUDIO et LIVE」が、未発表音源のボーナストラック2曲を加えて復刻リリース! 活動創成期の音源ながら、その後の方向性を決定付けるエレクトリックギターのフィードバックが詰まった貴重な音源集。

 

※こちらの商品は、10月28日(金) 以降に出荷予定です。

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【湯浅学氏による裸のラリーズ 『’67-‘69 STUDIO et LIVE』解説】

 

 本作は1991年8月にリリースされた『’67-‘69STUDIO et LIVE』の復刻盤である。裸のラリーズの活動の最初期の貴重な音源が収録されている。選曲・編集は水谷孝によるものである。復刻にあたり音源を再検証し、現状で最も良好な状態の音源を使用、裸のラリーズのメンバーだった久保田麻琴によってリマスタリングされている。なおCD版には今回発見された2曲のボーナス・トラックが加えられている。

 1967年の秋、京都の同志社大学校内で軽音楽部で顔見知りだった水谷孝と中村武志がバンド結成を決意した。中村の方から水谷に声をかけたという。水谷は当時ではめずらしいほどの長髪で独自の存在感を漂わせていたという。二人ともギター担当だった。そこでベースとドラムスを探した。といっても演奏を聴いてオーディションをしたわけではない。カッコいい人間、感覚的にピンとくる人間を探した。それで見つけたのが同じ大学に通う若林盛亮だった。

「日本の音楽シーンを革命するバンドを作ろう、という話になりました」

と若林はいう(2017年10月公開。Buzz Feed Japan掲載のインタビュー所収。インタビュアー神庭亮介)。

 3人はすぐに意気投合した。若林は2人に声をかけられたのは、”10・8羽田闘争”を知り、社会と向き合おうと考えていた時期だったという。”10・8”とは、佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を含む東南アジア・大洋州諸国訪問阻止を目的に羽田空港周辺に大学生を中心に約2500人が集まり、2000人の警官隊と衝突、その騒乱で京都大学生1名が死亡した闘争活動のことだ。政府への不信の意志表示、ベトナム戦争に対する反戦運動が日増しに高まっていたときだ。その後、全共闘活動へ展開していく。

 世界の様々な街で様々な根源的な異議申し立ての行動が日々起こっていた。政治的活動と文化的行為とが同時進行していた。旧体制の教条や権威の守護者への抗議/異議を様々な人々が行動や行為や作品に変換していた。その動き、自発的異議申し立ての文化、カウンター・カルチャーは世界中で膨張していた。67年から68年にかけて、それは猛然と拡大した。文学、美術、音楽、映画、ジャンルを横断して多様な変化が起こった。68年1月の、フランスのアンドレ・マルロー文化大臣によるシネマテーク・フランセーズ館長アンリ・ラングロワの一方的解任に対してフランス映画人が集結して上映取り下げやデモで激しく抗議した「ラングロワ事件」は、そうした動きの先駆けともいえ、その4ヶ月後の68年5月には、パリの学生運動の激化がフランス全土のゼネラル・ストライキにまで波及した五月革命が起こっている。ある者は反戦活動、ある者は政治闘争、ある者は環境保護活動、ある者は行為芸術活動、ある者はサウンド・パフォーマンス活動、ある者は街頭演劇活動へと、それぞれが独自の異議申し立てに身を投じていた。

 裸のラリーズ結成はその世界的波動に呼応するものだった。

 意気投合したとはいえ若林には楽器演奏の経験はなかった。中村によると、“最初から楽器のテク以上に、感性や理念が大事だった”という。水谷も同じ思いだったであろう。その後、3人が京都の町をラリって歩いていたとき、ラリーズ、というバンド名がひらめいた。“裸の”と付けたのは、虚飾がないということを示したからで、ウィリアム・バロウズの『裸のランチ』からの引用ではない、と若林はいう。

 ドラムスは中村の高校時代の友人でジャズ・ドラムをやっていた加藤隆史に決まり、4人は滋賀県草津の倉庫で練習した。当初はオリジナル曲がなかったため、ブルース・マグース・ヴァージョンの「タバコ・ロード」などを練習していた。ヒットしたナッシュビル・ティーンズ・ヴァージョンではなく、ワイルドなブルース・マグース・ヴァージョンを下絵にしていたところに特異なこだわりが感じられる。今回のリイシューCDのボーナス・トラックに水谷、中村、若林、加藤による「Tobacco Road」が収録されている。おそらくこれが、“オリジナル・裸のラリーズ”の一番古い録音と思われる。若林は、政治活動に傾倒していったため68年初夏にラリーズを脱退する。とするとこの録音は68年春ごろのものか。若林によると、裸のラリーズの初ステージは同志社大学の写真部のダンスパーティーだったという。『’67-’69STUDIO et LIVE』のジャケットになった写真を撮影した女性の斡旋による出演だった。まだオリジナル曲が出来上がっていないころだという。68年春、フランス五月革命のころだろうか。そのときにはローリング・ストーンズの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」を若林が歌う場面もあった。脱退後も若林は校内や溜り場だったジャズ喫茶「しあんくれーる」で水谷たちとはよく顔を合わせていた。

 本作の「Smokin’ Cigarette Bluse」は、68年秋の同志社大学の学園祭でのライヴを収録したものだ。場所は同志社大の一般教養科目などで使われる大教室だった。薄暗い部屋の中に轟音が溢れた。水谷、加藤、そしてベースを中村が弾いている。完全なインプロヴィゼーションで水谷のギターが唸りを上げている。

「水谷のエレクトリック・ギターがフィード・バックした瞬間にとるべき方向は決まった」(ミュージック・マガジン91年11月号掲載のFAXインタビューでの水谷の発言)を強く物語る演奏だ。結成から1年後にその後の30年間の根幹が形成されていたことがわかる。68年秋に日本でこのような演奏を繰り広げていたバンドが他にあるだろうか。この曲の後半、ハーモニカのプレイが展開される。これは飛び入り参加の若林によるものだ。

 水谷は同志社大学の詩歌研究会に所属していた。詩はバンド結成以前から書いていた。若林脱退後、ベースに多田孝司が参加し、オリジナル曲も次々に形になっていった。

 京都で唯一のアンダーグラウンド劇団だった『現代劇場』とも裸のラリーズは浅からぬ関係にあった。劇の伴奏というのではなく、劇団と裸のラリーズが共闘関係にあったというものだろう。現代劇場は、ストロボ・ライト、ブラック・ライト、ミラー・ボールを使ったライト・アートに67年春ごろから関わっていたという。現代劇場とのジョイントによって、ライト・アートが裸のラリーズの主要素に定着したのかもしれない。62年12月に発足した現代劇場、その主催者=小松辰男は、60年代前半から演劇公演以外にも数々のアート・イヴェントに関わっていた。詩人、演出家、戯曲作家、パントマイム・パフォーマーだった。小松は既成の演劇、劇場を否定的に捉えていた。ハプニングを多く取り入れた演出が特徴だった。その点でも即興を得意にしていた裸のラリーズとは相通じる感覚があったに相違ない。

「『単に演劇分野だけにその活動を限定するのではなく、映画・音楽・舞踏・美術などの広い分野との接触を保ち、相互間の厳しい対決を通して真の総合芸術の創造をめざしたい』といふのが小松の持論であった。」(太田代志朗「春の修羅 小松辰男序説」『夢は荒野を 小松辰雄追悼集』87年サンリード刊 所収)

 現代劇場の公演では、68年11月にプレイスポットKYOTOで上演された柳沢正史作・演出の『PALODY もしくは薔薇十字団の幻想』で水谷孝/裸のラリーズが音楽を担当し好評を博したことが判明している。

 裸のラリーズは1969年4月12日に京都大学のバリケード封鎖中の教養学部内教室でのイベント『バリケード・ア・ゴーゴー』に出演する。これは、”バリ祭”というイベントの一つで、運営実務は小松が担当していた。この”バリ祭”を小松はこのように回想している。

「《裸のラリーズ》が歌い、恐る恐るバリ内を訪れたミーハー族がいつしか踊り狂い、ワイセツ罪でパクられ保釈直後の荒木一郎がギター片手に弾き語り、プライベート・フィルムの上映や、《プレイ》、《ゼロ次元》などのアーティスト集団によるハプニングがうち続き、あげくは《部族》という大和民族型ヒッピー集団が全国より押し寄せ、何んやアレは、男同士がキスしとるやないか、いったい闘争とコレはどういう関係にあんのやと、良識あるセクト諸氏から一大ヒンシュクをかったものだ。(しかし、ココが大事)。」(小松辰男『私的「西部講堂」小史』前掲書所収)

 続く4月26日には、三条木屋町にあった「立体画廊・射手座」というスペースで『免罪符としてのリサイタル』と題する公演を開催している。企画・制作は小松によるものだ。「立体画廊・射手座」は、京都初の現代アート専門ギャラリーだった。69年当時、京都のみならず日本全土においても貴重な現代アートの発表の場であった。

 リサイタルは、10月18日にも「免罪符としてのリサイタルNo.2」と題して京都教育文化センターで行なわれている。この時はドラムスが松本務に代わっている。この日の演奏を見た久保田麻琴は、裸のラリーズの演奏の音量の大きさに驚き「あんなデカい音を聴いたのは生まれて初めての経験だった」と後に述べている。いずれにしても、69年にワンマン・ライブを2回も行った学生バンドは日本において極めて稀である。ライブ・ハウスのようなロックを演奏する場が確立される以前の状況であったことを考え合わせなければならない。裸のラリーズは特別な存在だった。

 本作に収録の「La Mal Rouge」のベース・ラインは水谷が考えたもので4月26日の「射手座」での録音。「眩暈」と「The Last One」も同日の録音で、メンバーは、水谷、加藤、多田、「The Last One」に入っているシャウトは小松と加藤によるものだ。CDのボーナス・トラックの「Résonance」もこのころのものではなかろうか。「Les Bulles De Savon」、「記憶は遠い」、「鳥の声」は69年夏頃加藤宅で録音された。「My Conviction(2nd Version)」は10月18日の録音、あるいはこの日のためにどこかで収録されたもののようだ。メンバーは水谷と多田、ドラムスは松本務が担当している。

 「鳥の声」では「ギターで鳥の声を表現して欲しい」と水谷に要求された多田がリード・ギターを弾いている。水谷は当時、フリー・ジャズやサンフランシスコ系のロックなどを好んで聴いていた。それら愛聴盤の中に、フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インベンションの『フリーク・アウト!』があった。日本リリースの彼らの最初の2枚のシングル、「つらい浮世」と「マザーリイ・ラブ」も水谷は当時購入し愛聴していた。「つらい浮世=Trouble Comin’ Everyday」と水谷作品「眩暈」は相通じるものがあるように感じる。多田も水谷に薦められ当時『フリーク・アウト!』を購入し聴いていたという。「記憶は遠い」では水谷がカズーをハーモニカ・ホルダーに取り付けてエレキ・ギターを弾きながらプレイしている。「その姿は斬新だった」と多田はいう。カズーの使用はどこから思いついたのだろうか。もしかすると『フリーク・アウト!』にインスパイアされたのかもしれない。『フリーク・アウト!』には「ハングリー・フリークス、ダディ」や「マザーリィ・ラブ」、「ユー・アー・プロバブリー・ワンダリング・ホワイ・アイム・ヒア」などカズーが印象的な曲がいくつもある。そこから自作へ転換した水谷の着眼と実践は他に類を見ないものだ。「記憶は遠い」、「鳥の声」どちらもその後長く裸のラリーズのレパートリーとなる重要な曲である。

  「The Last One」。これこそ、水谷孝、裸のラリーズの追い求めていたもの。この曲は歌詞、メロディー、様式を変えて生涯演奏しつづけられた。水谷は「すべての“The Last One”が一つのつながった曲として存在している」と語っていた。

 裸のラリーズは1969年秋、池坊会館でのライヴで一度活動を休止する。水谷孝は21歳だった。

 

 前述のFAXインタビューで「(CD化によって初めて裸のラリーズを聴いた)新しい体験者/(60~80年代にライブを実際に見た)かねてよりの体験者、両者それぞれにメッセージを」という呼びかけに対して水谷はこう答えた。

 「時代が変わっても、こちら(ラリーズでもいい)は変わらない。とどまり、進み続ける。そして両者の間に壁があるとするならば、それも壊してやろうじゃないか」

 

 半世紀余を経ても、裸のラリーズはとどまり、進み続けている。

 この音盤はその証である。

 

2022年7月 湯浅 学

Les Rallizes Dénudés(裸のラリーズ) / ’67-’69 STUDIO et LIVE[CD]UBCA-1073

¥3,000価格
  • 1. Smokin’ Cigarette Blues (Live Version) 

    2. La Mal Rouge

    3. 眩 暈 otherwise My Conviction

      Vertigo otherwise My Conviction

    4. Les Bulles de Savon  

       Soap Bubbles

    5. 記憶は遠い 

      Memory is far away

    6. 鳥の声  

      Bird calls in the dusk 

    7. My Conviction (2nd. Version) 

    8. The Last One _1969 (Live Version) 

    -Bonus Track-

    9. Résonance #

    10. Tobacco Road #

    #未発表音源

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